私が「記憶に残っている、あの日」
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
私にとって記憶に残っている日は正確には覚えていない。
というより、あの日からの1年はほとんど覚えていない。
高校2年の3月頃、急な連絡があった。
そのころ私には大好きな同じ部活の後輩がいた。
その子は細目で、クシャっとした笑顔をする人だった。
声が少し高めで、私のことをよくいじっていた。
当時はその子が大切で、その子に会えることが毎日の楽しみだった。
その子が、いわゆるおやじ狩りに加担して、捕まったという連絡が突然あった。
おそらく顧問の先生か、その子の同級生から聞いたのだと思う。
そこから私の生きている気力は、全くと言っていいほど失せてしまった。
私は3年生に進学したものの、クラスメートの人とはほとんど会話をしていないと思う。
それくらい1年が長く、つまらないものだと感じた。
その子が主犯格ではないことは間違いないということは分かっていた。
とても小柄で人当たりのいい性格でとてもじゃないけど人を傷つけて、お金を捕ろうとするような人間ではなかった。
主犯と思われる人も面識があった。
その人のことを私が許すことができたのは5年くらいかかったと思う。
その子からは今でも具体的にどんな処遇を受けたのかは聞いていないけれど、家庭裁判を受けたとは風の噂で聞いた。
そしておそらく軽犯罪で少年院にはいっていたのだと思う。
私自身は高校3年間が全く身にならなかったこともあり、受験に失敗し、浪人をすることになった。
これに関してはその子とは関係ないことなので、特に何とも思っていない。
その子は高校を1年間休学したのちに、3年生からやり直したのだと思う。
その後、その子も私も大学に通うことになった。
私は大学に通って就職してお金を貯めることを、全てその子のために行おうと思っていた。
アルバイトのお金を少しでもその子に送金して幸せな大学生活を送ってほしいと思っていた。
でも、そこまでするのは重いと思って結局は行っていない。
その子は大学に通い、楽しい大学生活を送っていることをFacebookで見ていた。
幸せそうならそれでいい。
私の思いは知らなくていい。
私の気持ちは少しずつ忘れていけるものだと思っていた。
私は会社を辞めることになり、転職して実家に戻ることになった。
そんな時にその子に勇気をもって連絡してみると、その子も実家に戻っていると連絡があった。
何かあったのかと思って他の友達も含めて、ご飯を食べることにした。
話を聞いてみるとその子はただの転勤だったようで、安心した。
あの頃と同じ私が好きな笑顔をする子のままだった。
でも少し瞳に輝きが無くなっているように思えた。
私の勝手な想像でしかないけれど、過去の経歴ゆえに、就職活動や会社での立場、恋愛などに支障が出ているのではないかと思う。
その子は結婚はしないかもしれないと言っていた。
私はそれが非常に悲しかった。
高校のころから考えると大好きだという気持ちは少しずつ薄れてきたようにも思う。
でもなんとか私が死んだときの資産をその子に渡るようにできないかと思っている。
そして高校の時から現在まで、私がPCやスマホで使うパスワードは私とその子の名前誕生日に関係するものになっている。
これを変えることがない以上、私はその子のことをずっと忘れられないのだ。